東日本大震災 医療救護班の派遣報告|派遣報告

 

東日本大震災 医療救護班の派遣報告

3月16日から4月15日までの活動を、以下にご報告します。

第1班(活動期間:3月16日〜19日)
派遣職種:医師2、看護師1
日程 活動内容
3月16日 3月16日朝、救急車で病院を出発。
一般車両通行止めの東北自動車道を通って雪の中、20時過ぎに福島県災害対策本部に到着し、各地から参集した医療救護班、放射線測定チームに合流しました。
3月17日 福島市飯坂温泉にあるパルセいいざか(収容人数620人)で他チームとともに全員の放射線測定および外来診療(59名)を行いました。
3月18日 西白河郡西郷村役場で計172名に対して放射線測定を単独で実施しました。
3月19日 第2班、国立災害医療センターDMATチームと合同で、福島第一原子力発電所に近い双葉郡広野町にある高野病院から警察が搬送してきた精神科患者32名をいわき市にある光洋高等学校において放射線測定、身体チェックを実施し、埼玉県内の精神科病院へ搬送するバスに乗り換えさせる域外搬送業務を行いました。
第2班(活動期間:3月19日〜22日)
派遣職種:医師3、看護師1、放射線技師1、薬剤師1
日程 活動内容
3月19日 第1班、国立災害医療センターDMATチームと合同で、福島第一原子力発電所に近い双葉郡広野町にある高野病院から警察が搬送してきた精神科患者32名をいわき市にある光洋高等学校において放射線測定、身体チェックを実施し、埼玉県内の精神科病院へ搬送するバスに乗り換えさせる域外搬送業務を行いました。
3月20日 引き続き、福島県災害対策本部からのミッションにより3月20日には会津若松市にある葵高等学校、会津工業高等学校、若松商業高等学校で他チームとともに計97名の放射線測定と計24名の診察を行いました。
3月21日 DMATチームとともに再びいわき市の光洋高等学校で自衛隊により搬送されてきた高野病院入院中の精神科患者22名の放射線測定と身体チェックを行い、域外搬送用のバスに乗り換えさせました。
3月22日 福島県災害対策本部で、これまで医療チームを統括してきた医師が不在となったため、福島県自身の医療班本部を立ち上げ、その運営支援を行い、第3班に引き継ぎました。
第3班(活動期間:3月22日〜25日)
派遣職種:医師2、看護師1、放射線技師1
日程 活動内容
3月22日 3月23日旧相馬女子高等学校と向陽中学校で医療活動を展開し、合わせて70名の診察を行いました。
3月24日は午前中同じく向陽中学校で18名の患者を診療し、午後は飯豊小学校で地元の開業医の先生と一緒に活動しました。
3月25日午前中は再び旧相馬女子高等学校で救護活動を実施後、午後医療支援のなかった新地町(しんちまち)に入り、町役場より診療所の開設を依頼されました。新地町は福島県浜通り最北の地域で海から国道6号線までの約1kmの範囲は津波により壊滅状態であり、常磐性新地駅での列車の損壊は今回の被害の象徴とも言われています。福島市で第4班と引き継ぎを行いました。
第3班により医療ニーズの非常に高い新地町で救護活動を開始することになりました。
3月23日
3月24日
3月25日
第4班(活動期間:3月25日〜28日)
派遣職種:医師2、看護師1、薬剤師1
日程 活動内容
3月25日 3月26日より新地町で救護活動を始めました。
町役場に診療所を開設し、14時より24時間体制で診療を開始しました。持参薬切れや上気道炎、アレルギー性鼻炎が多く受診していました。同時に町内に5つある避難所の巡回業務を実施しました。
新地町では5つの避難所に約700名が収容され、死者50人以上、行方不明者70人以上と言われていました。町役場の最上階には自衛隊が常駐し、行方不明者の捜索や瓦礫の撤去などの支援活動を行っていました。
新地町は非常に寒く、ガソリンは不足し、コンビニエンスストアの品物も少ない状態でした。ライフラインの復旧は7割程度でした。
第4班は診療所開設とそこでの診療に専念しました。
3月26日
3月27日
3月28日
第5班(活動期間:3月28日〜31日)
派遣職種:医師3、看護師1、薬剤師1
日程 活動内容
3月28日 3月28日夕に新地町で第4班を引き継ぎました。
24時間体制の診療所業務に加え、現地および佐賀県の保健師と連携し、午前と午後の2回、町内の避難所を巡回しました。避難所には医療機関を受診する手段がないなどの理由で治療の必要な患者が多く存在しました。さらにこの地域にある2つの診療所(菅野医院、遠藤内科医院)や病院(公立相馬総合病院、相馬中央病院、宮城病院、仙台医療センター)、院外薬局、相馬消防新地分署との協力体制を築きました。同時に福島県災害対策本部との密な連絡体制をとり、本部のコーディネーター業務を支援しました。
28日夜より三井記念病院チームと協力して活動することになりました。
3月29日
3月30日
3月31日
第6班(活動期間:3月31日〜4月3日)
派遣職種:医師3、看護師1、薬剤師1
日程 活動内容
3月31日 3月31日に新地町に入り、同様の活動を行いました。
常用薬処方希望や上気道炎、アレルギー性鼻炎、手荒れが多くを占めていましたが、インフルエンザや低血糖の患者もいました。新地町にもようやく春が訪れ、少しずつ暖かくなってくるとともに、ガソリンや生活必需品の供給が回復してきました。
4月3日より三井記念病院チームと交代で活動することになりました。
4月1日
4月2日
4月3日
第7班(活動期間:4月6日〜9日)
派遣職種:医師3、看護師1、薬剤師1、臨床心理士1
日程 活動内容
4月6日 4月6日に三井記念病院チームを引き継ぎました。
避難所の巡回診療には医師2名、臨床心理士と看護師あるいは薬剤師の計4名が当たり、身体的治療に加え、被災者の心理的ケアにも心掛けました。また中長期的な災害医療を担う福岡県医師会派遣災害医療班に第8班後引き継ぐ相談をしました。
4月9日夕、三井記念病院チームに引き継ぎました。
4月7日
4月8日
4月9日
第8班(活動期間:4月12日〜16日)
派遣職種:医師2、看護師1、薬剤師1、臨床心理士1
日程 活動内容
4月12日 4月12日福島県災害対策本部でチェックインした後、新地町役場で三井記念病院を引き継ぎました。
避難所の被災者の多くは日中仕事に出ているため、午前中の避難所の巡回診療を19時から21時へと変更し、より多くの被災者の診療を行えるようにしました。前班同様、臨床心理士による心のケアも行いました。震災より1カ月が経過し、徐々に復興の兆しが見え始め、周囲の医療機関の再開やこれまでの診療により受診患者数は徐々に減少してきました。
4月14日に長堀 薫 副院長が訪れ、一緒に診療するとともに被災地の視察と関係者への挨拶をしました。
4月16日午後福岡県医師会派遣災害医療班が到着し、引き継ぎを行って一連の被災地救護活動を終了しました。
4月13日
4月14日
4月15日